世界の片隅からこんにちは
ミニきてくださってありがとうございます。
ミニマリストになりそこなった私の話
【目次】
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買うまでが長い
突然だが、私のお気に入りのコップを見て欲しい。
私はこれを色違いで3つ持っているのだが、買うかどうか悩みつづけて、結局買うのに1年半かかった。悩んでいる間に活躍時期である冬が1回通り過ぎている。
別にめちゃくちゃ高い物でもない。でも、その頃の私は、家中のものを捨てまくった後で、買っても捨てない自信がなかったのだ。元々あるかないかぐらいの自己肯定感だが、捨てを繰り返したことで、もう自分を信用出来なくなっていた。
家中のものを捨てて後悔しまくっている話
でもこのコップについては、年に何度か、捨てたいという気持ちが湧き上がってくるものの、1年半悩んだからか、まだ捨てずに済んでいる。
捨てるだろうなと思いながら買う
信じられないかもしれないが、店で商品を手に取りながら、まだ買ってもないのに捨てることを考えている時がある。特に100均。嘘では無い。
こんまりさん流なら「ときめく」物や、本当に心から欲しい物、高品質高価格な物を、買っていないからだ、と言われれば、きっとそうなんだろう。
左と真ん中がお気に入り
これは豊かな生活なのか
通り過ぎると、果てはない。
捨てすぎて後悔しているにもかかわらず、まだ捨てたいという欲求が顔を出す。先日も、庭にためていた支柱(植物を支える棒)を20本以上処分したのだが、数週間後、必要になり、購入。
もはやただの アホ である。
なんで捨てるの
簡単だからだ。捨てるだけで、達成感を得られる。そこにあったものがなくなった余白を見れば、スッキリ~☆ 喜びが湧き上がってくる。
でもそれは一瞬だけのことで、本当はさもしいことなのかもしれない。
ミニマリスト ”なりそこない”
世の中のミニマリストさんたちはちゃんと「加減」を知っている。
私は、ここまで。この物量が、ちょうどいい。
それをわかっているから、ミニマリストさんたちのシンプルライフは輝くし、みんなが素敵だなと思うのだ。
でも加減が分からない私は、ミニマリストにはなれなかった。
捨てることで得られる豊かな暮らしではなく、捨てることそのものに快感を得てしまった。そうなれば、だんだん物がそこにあることを許せなくなってくる。
でも、物なしで暮らすというのは、絶対にどう考えても不可能なのだ。行き過ぎた私は、達成しようがない目標をかかげてさまようゾンビと化してしまった。
あつ森でなら置ける
しかし!そんなゾンビのさもしい心に復活の光がさしている。
それが私と娘が今はまっている「あつまれどうぶつの森」である。
あつ森では、自分の島の評判を上げて、世界的アーティスト(とたけけ)を呼ばなければならない。
世界的アーティスト
https://www.nintendo.co.jp/kids/character/totakeke/index.html
島の評判は、とにかく島を「飾る」ことで上がっていく。島のいたるところに椅子や机などの家具を置いたり、花や木を植えたり、とにかく島中を飾りまくらなければならない。
終わりに
現実世界ではそんなこと絶対できないが、あつ森では自宅内も、すごいことになっている。なぜか服屋のマネキンまでおいてある。あつ森が、産後の狂乱で、豊かな心ともども捨て去ってしまったミニマリストゾンビである私の、良いリハビリになっている。
読んでくださってありがとうございました。