一人時間

30代後半女性が書きたいことを書きたいだけ書くブログ。万人の暇つぶしになりたい。読んでためになる記事も、もしかしたら、たまには、ある…のか?

保育園か幼稚園か・・・どっちも通った娘の話

どうもこんにちはpiijaです。

見に来てくださってありがとうございます。

娘はもうすぐ7歳。保育園の先生と合わず、あわてて幼稚園に転園した時のお話です。

 

【目次】

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全小学校の隣に幼稚園

私は現在住んでいる地域では、市内すべての公立小学校の敷地内に、同じ名前の市立幼稚園が建っている。(例 : 山田小学校―山田幼稚園)

 

いまからおよそ30年前、私はそのくっついている市立幼稚園に通い、そのまま同じ名前の小学校に進んだのだが、当時は、今ほど保育園が多くなかったので、基本的に小学校に入学するのは、横にある幼稚園の卒園生だけだった。

 

つまり1年生の時点で学年全員が友達、もしくは顔見知りなのである。そんな状況で始まる小学校生活は、平和そのものだった。だから私は、娘も、小学校の横にある市立幼稚園に通わせたいと、ぼんやり考えていた。

 

今は時代が代わり、1年生は市立幼稚園からが半分、いろんな保育園からが半分となったが、それでも1年生のスタート時点で学年の半分が友達、もしくは顔見知り、という状況は、2歳3歳と激しい人見知りぶりを見せていた娘に、良い環境なのではないかと思ったのだ。

 

このまま保育園でいこう

娘が2歳半の頃、私が9時~4時で毎日パ―トを始めたため、娘は保育園(1歳クラス)に通い始めた。小学校にくっついている幼稚園は公立なので、4歳児(年中)5歳児(年長)は市内に住所があれば問答無用で全員通える。しかし3歳児(年少)だけは定員が少なく、抽選がある。保育園から転園するなら、2歳児クラスの秋頃から、翌年に向けて動き出さないといけなかったのだが、私は何もしなかった

 

今の職場で働きながら、娘を幼稚園に通わせるという想像が、どうしてもできなかったからだ。働きながら幼稚園なんて、幼稚園にも、職場にも、子供にも、迷惑や負担をかける想像しかできなかった。かといって、幼稚園に行かせるために、始めた仕事を簡単に辞めるつもりもなかった。

 

だから、3歳(年少)クラスはこのまま保育園で、と思っていた。車で送迎可給食におやつ仕事の都合を考慮してもらえる便利な環境を変えてまで、幼稚園に通わせたいと思えなくなっていた。子供のためというよりは、自分のためだった。上の子を幼稚園に入れているお母さんからはしきりに幼稚園を勧められたが、現状を変えるのはどうしても面倒くさかった。

 

それを後から後悔することになると、この時は思ってもみなかった。

 

嵐の予感

娘の通っていた保育園は、できたばかりの小さな施設だった。オープニングスタッフは、穏やかなベテランの先生ばかりで、手探りながらも和気あいあいとやっているように見えた。

 

数か月後、60歳ぐらいの新しい先生が入ってきた。「私は長年、由緒ある保育園でずっと仕事をしておりましたので、知識も経験も豊富です」と自己紹介を受けたのを覚えている。

 

自己申告するタイプの人なんだなぁと思っていたら、その先生が来てから、オープニングスタッフだった先生たちが、1人また1人と辞めはじめ、元からいた先生は、最終的に全員いなくなってしまった。そしてその新しい先生が娘の2歳児クラスの担任の先生になった。

 

ターゲットが必要

娘の2歳児クラスには5人の子供がいたのだが、しばらくするとお迎えの時間に、A君というお友達のお母さんが担任の先生に怒られているのをよく見るようになった。今日はこんなことがあった、ここがダメだった、いったいどうなってるんですか、おうちでちゃんとしつけてますか・・・お母さんは保育園の玄関先で泣いたこともあったらしい。

 

A君のお母さんは毎日毎日怒られ続けた。A君自身も先生から相当怒られていたようだが、あまり堪えるタイプではなかったようだ。しかし2歳児クラスの夏、先生からの叱責に、お母さんの方が耐えきれなくなって、A君は保育園を辞めていった

 

 

しばらくすると今度はB君のお母さんが同じ担任の先生に詰め寄られているのをよく見るようになった。B君はA君が辞めた後、朝お母さんと別れるときや、保育時間中も、場面が変わるたびに不安がこみ上げ、なかなか泣きやむことができなかったらしい。

 

B君のお母さんもすごい言われようだった。毎日、今日は何時間泣きつづけました。泣きだしても、自分で切り替えてもらうために、一人で放置しています(まだ2歳の子供!)。あんなに泣くなんておかしいんじゃないですか。家でちゃんとかまってますか・・・A君のお母さん同様、さんざん言われたそうだが、B君のお母さんは体育会系の強い精神力学期末まで耐え抜き、幼稚園に転園していった。

 

私は、自分の毎日に必死で、お母さんたちから話を聞いても、その状況のおかしさを横目で見ていることしか出来なかった。保育園で預かってもらえているから仕事に行けている。本来私がするべき小さな娘の世話を、代わりにやってもらっているだけでありがたい。違和感はあっても、今保育園を辞めたら仕事はどうする?どこの認可保育園にも入れなくて、この小さな無認可園に来ているというのに!

 

娘の入院

B君が幼稚園に転園していった年度替わりの頃、娘は病気で入院し、3月中頃から1か月くらい、保育園を休んだ。休んでいる間に、2歳クラスは3歳クラスになり、残っているメンバーは先生お気に入りのCちゃん、新しく入ってきたDちゃん、そして娘、の女子3人となった。先生からは入院中、何度か電話をもらい「ここだけの話、来年も私が担任ですから、安心してください」と告げられていた。

 

退院後、次のターゲットになったのは娘だった。

 

登園拒否

ほいくえん行きたくない」退院して数日後、朝娘が泣き出した。これまでは「行くのめんどくさい~」と駄々をこねて見せることは何度もあったが、どうにも様子が違っていた。どうしたの?何かあった?と尋ねれば、「おひるねがこわい」という。

 

娘は昼寝がとても苦手で、保育園に通い始めた2歳半時点で、保育園のお昼寝タイムは横になってごろごろしているだけだった。娘は静かに寝転んでいられたらしく、入院前の一年間、例の担任の先生からも「一人で静かにできているので、寝てないですけど、それでいいですよ」とずっと言われていた。

 

ところが退院後、なぜか先生がお昼寝していないことを怒るようになったという。娘は数日間我慢していたがこらえきれずに泣き出したようだった。

 

お母さんが先生に聞いてみるからね、と娘をなだめ、何とか保育園に連れて行った。これまでOKとされていたのに、急に先生が怒った理由はわからなかったが、娘にも悪いところがあったのかもしれないと、その日の朝先生に尋ねてみた。すると、とても嫌そうな顔で、「ああ、そのことですか」と話し始めた。ここのところ先生はやはり「昼寝をしていないと、他の子供に迷惑になるから寝るように」と娘を怒っていたらしい。

 

私 「うちの子はお昼寝の間、騒いだり、お友達に話しかけたりしてるんですか」

先生「いいえ」

私 「ジーっと静かにしてるんですよね」

先生「そうですよ、でもお昼寝というのは寝ないといけないんです」

私 「でもほかの子に迷惑をかけてるという訳ではないんですよね?」

先生「そうですよ」

私 「じゃあ、お昼寝の間、じっと横になってるのを許してもらえませんか」

先生「・・・・・わかりました」

 

そう取り付け、何とか娘に登園してもらった。本当はそんな先生に娘を預けるのは嫌だったが、仕事を休むわけにもいかないので、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、保育園を後にした。

 

その日、お迎えに行ってもその先生は出てこなかった。娘も「きょうはおこられなかった」といってしばらくは普通に登園していたのだが、後日また「いきたくない」と泣きだした。「おひるねがこわい」そればかり言って泣いている。最初はこわいこわいしか言わなかったが、何が怖い?先生まだ怒る?と根気よく聞きだしてみると「かべがこわい」という。「かべをおくの。かべがこわい。かべにはさまれてこわい。」

 

・・・壁?

 

娘の言い分によると、娘のベッドを部屋の壁際において、ベッドを挟んで壁の反対側にパーテーションを置いて、起きている罰として、一人にしているという。真っ暗な部屋で、壁とパーテーションに挟まれて一人にされて怖かったらしい。そんなことをしても娘が寝ないのは、一年間見てきた先生ならわかるはずだ。

 

この間の先生の受け答えからも、娘はお昼寝中騒いでいるわけではなさそうだし、壁のことも、嘘をついているとは思えない。先生にもう一度話そう。でも、万が一があるかもしれないと思って、登園前に、パーテーションを置いているのかどうかだけ電話で事実確認をしたところ、別の先生が出て、本当の事だと教えてくれた。

 

かべがこわい

登園すると、クレームの電話を入れられたと勘違いした担任の先生が待ち構えていた。「お電話いただいたみたいですけど。」というので、娘の横に壁を置くのはやめていただけませんか、怖いようなんですと話してみた。

 

返ってきたのは、「お母さん、家で虐待してませんか?」という返事だった。壁を設置しようとしたとき、娘は「ごめんなさい!ごめんさい!ごめんなさい!!」と泣きじゃくって連呼したという。「お母さん、もしかして家で、激しく怒ったり、たたいたりとか、してるんじゃないですか?」と半笑いで言われ、頭から湯気が出そうなほど怒りが沸いて来た。

 

私は、娘がそんなことを言うのは、壁が怖いからです。壁を置いてほしくないからです。静かにしているんですよね?壁をのけてもらうことはできませんか、と冷静にお願いした。すると先生は、私の横で棒立ちしている娘に向かって、

 

壁のけたら、寝れんねんな!?!!!!!

 

と怒鳴った。そして私に向かって「わかりました、のけます」と言って立ち去って行った。あのセリフ、あの風景は、耳に、脳にこびりついている。

 

転園

そこからの私は早かった。

「車で送迎、給食におやつ、仕事の都合を考慮してもらえる便利な環境」など、もうどうでもよかった。あんな先生がいるところに、もう一日でも娘を通わせるわけにはいかない。その日すぐに校区の公立幼稚園に電話をしてみたが、定員いっぱいな上、空き待ちが20人いるという。絶望しかけたが、隣の校区の幼稚園を勧められたので、すがる思いで電話してみると、空きがあるとのことだった。私は、どうしてもすぐに転園させてほしいと頼み込んだ。

 

電話で転園の理由を聞かれたとき、保育園で先生とうまくいかず…と正直に話していたため、あとで書類をもらいに幼稚園に連れて行ったとき、園長先生から、どんな子が来るかと思いましたけど、しっかりした子ですねと言われた。そのあと、娘に向かって「ちゃんと静かに座ってお話聞けて、えらいね~」といわれたとき、私は安心して泣きそうになった。

 

通常の仕事に加えて、書類記入や、用品揃え等の転園準備を、10日足らずで終わらせるのは大変だったが、その原動力となったのは紛れもなく、あの時感じた怒りと、大いなる反省の気持ちだった。

 

スピード転園できた幼稚園への登園初日、迎えに来た私を見た娘は開口一番「先生に話しかけても、おこられなかったよ」と言った。取り返しのつかないことに、なるところだった。娘には、地面に頭がめり込むほど土下座しても、足りないと思っている。

 

幼稚園

幼稚園では預かり保育も実施しており、結局私は仕事を辞めずに済んだ。しかし、また同じように、私が気づかないところで娘が自分をすり減らすことになったら困るので、今後は、娘に寄り添うことにもっと重きを置きたいと思い、勤務時間を大幅に短縮することにした。

 

転園した市立の幼稚園では、今時珍しく、一日のほどんどが自由遊びだった。私が通っていた30年前と保育内容がほとんど変わっていないと母が驚いていた。

 

時代が変わっても、変えてはいけない大事なものはある。子供の育ちに関することというのが、特にそうなんじゃないかという気がする。時代が変わったからといって、発育に必要な睡眠時間が変わらないのと同じように、心の発達だって同じだ。

 

英語やピアノ、体操や水泳、九九や逆立ちを教えてくれる幼稚園もある中、ただ遊ぶだけの幼稚園に、母親が、歩いて送り迎えをして通わせる、というのは、ひどく非効率で、前時代的なのかもしれない。かもしれないというか、私が小さいころと同じなのだから本当に前時代なのだ。でもその前時代を今やることに、少なからず意味はある。

 

例えば幼稚園の帰り道、私の仕事がない日は、仲良しのお友達と遊びながらしゃべりながら、家にたどり着くまで2時間ぐらいかかる日もあったが、それも子供にとってはとてもうれしい時間だったようだ。親と過ごしてくれる短い時間の中で、「ママ好き!パパ好き!お友達も好き!」と言ってくれるのはきっと今だけだろう。今小学生になった娘は、「幼稚園の芝生で、寝転んでぼーっとお空を見てた」ことを、いまだに嬉しそうに話す。娘にとって、本当に宝物のような時間が過ごせたのだろう。

 

娘が幼稚園に通っている間、園でのびのびと過ごした時間や、親と子で一緒に過ごした時間は、どうやら子供にとって、とてもうれしいことだらけだったようだ。子供の心がうれしい気持ちで満たされることは、私にとっても、最高にうれしいことだった。

 

おわりに

何やら長々と書いたが、幼稚園に行ったから幸せに過ごせたと言いたい訳では無い。あの保育園でのできごとが、私にとって、娘と関わるうえで大事なことを見直すきっかけになったのだ。幼稚園に移って1年後、私が勤務時間を短くして、お昼寝をしなくて済むようにしたところ、悩んでいた娘の爪噛みは、ぱったりと止んだ

 

子供の訴えを見逃してはいなかったか。いつも子供の心を気遣えていたか。育児を人任せに、しかかっていたのではないか・・・そういう反省をもって過ごすきっかけを、あの保育園の先生がくれたと今は思っている。

 

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